脱・山籠もり

 この2年間山籠もり、、、というか、社会から断絶した生活をしていた(仕事にはちゃんと行ってるよ)。友人・知人に知らせることなく住所や連絡先を変え、誰とも会わない2年間だった(ちゃんと職場には行ってるよ)。それが最善の選択だと思い込んでいたからだ。恥ずかしい。。。く、黒歴史だ。。。これは全くの思い込みだった。

 最近そんな生活にも行き詰まりを感じて、久しぶりに人と接しようと行動してみたら、たくさんのすばらしい人たちと出会うことができた。昨日も2年ぶりにかわいい銀行員の後輩に会って、そのあと弁護士を目指す後輩に電話してみた。昔から2人とも頭良いなあ、と思っていたが健在だった。あとケーキ美味しかった。

 幸運なことに出会う人皆、何かしらに一生懸命で輝かしく、尊敬できる人々ばかりだ。こんな人々に出会えるのは、きっと私の生まれ持った才能だろう(?)。私は人と接するのが苦手だ。しかし尊敬できる人たちに出会えるならば、緊張で腹痛を起こそうが、「何て会話しよう・・・」と不安になって再び腹痛を起こそうが、自分から歩いて話しかけていかなければならないんだろうな。

 たくさんの人と接すると、自分に足りない部分が見つかるのが早い。2年間の山籠もり生活を経て、それを痛感している。2年間山籠もりしても見つけきれなかったことが、会話をして5分で見つかることもある。その時は非常に恥ずかしいが、まあいいや。私が変なことしても、どうぞ生暖かく見守って下さい。

 そういえば、引き籠りの大家といえばルネ・デカルト大先生だ。9年間誰とも会わず、引き籠った末に「コギト・エルゴ・スム(=われ思う、ゆえに我あり)」という唯一真理にたどり着いたデカルト先生。全ての常識、事象を疑った末に、近代哲学の根幹を築いたのはすごすぎるのだろう、たぶん。すごすぎて『方法序説』を3回読み返しても凄さがよく分からないが。現在私たちがXY軸による平面の直交座標を使えるのもデカルト大先生のおかげだ。やっぱり凡人と天才は違いすぎる。天才あっぱれ。

 4月の後半に大阪に行くのだが、この時にどうしても行きたい場所がある。西成だ。西成は絶対に行かなければいけないと思う地域なのだが、皆に行くのを断られる。しかし女性1人は怖いしな。もうちょっと方法を考えるか。