セネカと人生について

暴君ネロがまだ善政で有名だった頃、ネロは2人の偉大な先生を政治顧問としていました。そのうちの一人、哲学者セネカの本を読みました。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

セネカは「よき人生」について、これでもかというほど熟考し、明快な文章で2000年後にいきる私たちに教え諭してくれます。本の内容は、「せこせこ働いて雑多なことに脳みそ使うんじゃなくて、この世は広くて深いんだからもっとゆとりのある生活をして、この世の真理を追究しながら過ごそうぜ!」という感じです。しかしセネカの生きたローマ帝国時代と違い、現代人は雑多なこともこなしていかなければならない(ローマ帝国時代は、雑多なことは奴隷がやっていた)ので、本の大筋の内容通りの人生を真似するのは、お金持ちな人以外、至難のわざです。まあ、でもこの世の雑多を背負いながら生きる人々にもセネカ流のすばらしい人生をおくれる術が、同じ本のなかの「心の平静について」という短編で書かれていますのでそちらを参考にすれば良いのかなあと思います。セネカも死ぬまで大量の雑多なことを抱えつつ真理を見つめていたので、とても参考になります。

セネカは後に暴君と化したネロによって死を賜りましたが、死ぬまで有能な政治家であり続けました。死ぬまで隠居せず、死ぬまで現役で政争に巻き込まれつつ雑多なことを多く抱えて生きました。そして努力の甲斐もなく、かわいい教え子に死を命じられました。セネカの人生はハッピーエンドではなかったですが、彼の著作や思想は現代に伝わっています。

長寿で家族と環境に恵まれた平穏な生き方と、平穏とは程遠く擦り切れた人生の果てに虚しい死に方をするがその生き様や、やり遂げたことが数百年数千年後の人々にも影響するような生き方のどちらが幸せなのだろうと最近考えます。

個人的には後者がかっこいいと思いますが、どうなのでしょう。どちらの人生にしても、個人の努力だけではなくて運にも恵まれていないと、平穏無事な人生も、数千年を超えて名声が残る人生も歩めないのでしょうね。

最近雑多を受け入れて楽しく処理できるようになってきたので、久しぶりに訪問しました。